三輪の成り立ち

 三輪(三輪町および三輪緑山)は能ヶ谷からキノコのように突き出していて、横浜市青葉区、川崎市麻生区それと麻生区の飛び地である岡上に囲まれています。かつて都筑郡の中に多摩郡が入り込んでいました。

 

 古くから人が住んでいて、縄文時代の遺跡が9つあります。古墳時代になると麻生区にかけて100基以上の横穴墓が確認されていて、三輪には西谷戸横穴墓群、下三輪玉田横穴墓群、白坂横穴墓群があります。

 9世紀大和から齋藤・矢野・荻野三氏が移り住み、三輪の名称が付けられたとか。椙山神社の山が奈良県の三輪山に似ているからとの説もあります。

 1871(M4)年、廃藩置県により神奈川県多摩郡三輪村となり、1878(M11)年、多摩郡が三分割され南多摩郡となりました。
 1889(M22)年、町村制施行で鶴川村が誕生、神奈川県南多摩郡鶴川村大字三輪に、1893(M26)年、三多摩が東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字三輪となりました。1938(S13)年、東京府は東京都になりました。東京の水源確保と当時多摩地域で高まっていた自由民権運動が移管の理由とされています。
 1958(S33)年、市制施行で町田町、鶴川村、忠生村、堺村が合併して町田市が誕生、東京都町田市三輪町となりました。その後三輪町の一部が三輪緑山1~4丁目として別れ現在に至っています。
 三輪緑山は1965(S40)年頃、野村不動産により開発が計画されました。紆余曲折を経て1980年に着工、1985年に入居が始まりました。「三輪緑山」の町名は1987年、自治会の決議で決定されました。